2011年6月24日金曜日

シンポジウム 東日本大震災の教訓:放射線部門の災害への対応

124回日本医学放射線学会北日本地方会は617日、盛岡市で解説されました。当番世話人の岩手医大放射線科教授江原茂教授による発案で「東日本大震災の教訓:放射線部門の災害への対応」というシンポジウムが組まれ、私は「震災と放射能汚染」というテーマで 以下のような趣旨で話をさせていただきました。

福島市では他地域と同様にライフラインが絶たれたことが医療機関にとって大きな障害となりましたが、沿岸部と比較すると震災自体の影響は少なかったと思います。むしろ、福島市においては、その後に発生した東京電力メルトダウン事故による放射能汚染の恐怖により医療機関並びに市民生活が翻弄され続けていることが深刻です。

福島医大をはじめとして若い医師たちが病院をやめてしまったり、一時的に避難したり、或いは家族を県外に避難させたりしている時期でした。浜通りの病院では医師や職員が病院をやめてしまい放射能汚染による医療崩壊が切迫していたと思います。

震災当時、私は放射線科医として福島市の診療に協力できることがないかと仙台厚生病院の放射線科医師らと相談しておりました。行政や地元の医療機関にも相談しましたが、地元医療に協力する余裕や、機材や薬剤を有効活用する発想はありませんでした。そこで、福島市医師会と相談をして医療機関向けの放射能汚染説明文書の作成・仙台経由の内服ヨード剤の確保を行いました。震災当時、福島県北地区では唯一、福島医大のみが内服ヨードを保有しており、他の医療機関の若い医療者たちの不安につながっていました。

放射線線量測定機も多くの医療機関では準備できておりませんでしたので着任前に大原病院に手配をお願いしていました。3月下旬から借用できたGM測定器を使用し、現在は発注していた線量計が届き利用させていただいています。少なくとも医療機関においては、職場や生活環境の測定が行えることが職員の不安の払拭につながるものと思います。

また、当時はガソリン不足で患者の移送もままならない状態でしたので地区の各医療機関にて放射線診断に関係する機器の稼動状況をメールの一斉送信でやりとりしました。行政は汚染スクリーニング施設を福島医大と二本松の2ヶ所で対応していましたので、病院に来院した患者を、改めて二本松に行くように指示する等、矛盾を感じる対応をしていました。同様に診断機器の稼働状況によっては病院で門前払いをせざるを得ない状況もありうると思われましたので、あらかじめ地区内の稼働状況を各放射線部門がつかんでいれば無駄なガソリン消費を防ぐことができるだろうと考えました。

以上、一放射線科医として考えることのできた範囲の対応です。多くの職員の実直な対応・日頃の医師会の先生方との交流・地域の技師さんたちとの交流があったおかげで、自分自身も救われました。ありがとうございました。

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