2012年10月17日水曜日

福島で働くということ

先日、日本版JAMAで、南東北病院 心臓血管外科の緑川先生が、ご自分が心臓血管外科になられた思い出と、今、福島県内で働き続ける思いを熱く書かれていました。とても感動的な文章でしたので、記憶に残っておられる方も多いと思います。
私も緑川先生の文章を読んで当時のことを思い出しましたので、書いておきたいと思います。
私は、震災当時、仙台に勤務しており、翌月4月から大原医療センターに異動予定でした。3月下旬の半月は、少しでも早く福島のために何かをしなくてはと思いながら、仙台での役割をこなしていました。仙台では福島からの放射能汚染をどうやって排除するかが真剣に議論されていましたので、福島県人としては「事故に巻き込まれた際の被害者の差別」を身を持って感じさせられていました。
自分が何らかの役に立てるなら幸福だと思います。4月になって福島での勤務が始まり、自分ができることを自分のペースで行っています。地域医師会の先生方や院内・画像診断センターの職員たちと目の前の業務をこなしながら、しかし、いろんなことに挑戦しようとしています。
昨年、8月、旧知の尊敬する技術者と数年ぶりで会食する機会がありました。彼は米国在住で、震災のことをとても心配していました。私が、4月から福島勤務の予定となっており、その異動のさなかに震災が起きたことを話すと、彼は「この時期に福島に帰ってくることは運命づけられていたこと」なのではないかと言ってくれました。

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